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\title{圏論ではいろいろな矢印が登場しますが,それぞれの矢印の意味について教えてください(射,関手,自然変換に関する質問)}
\author{洞龍弥}
% \thanks{Graduate School of Mathematical Sciences, University of Tokyo. \url{hora@ms.u-tokyo}}
% % \date{\today}
% \subjclass[2020]{MSC}
% \keywords{Keywords}
\begin{document}
\maketitle
\section{射,関手,自然変換という三重構造}
\invmemo{矢印の三重構造というスローガンの提示}
圏論には多くの種類の矢印が登場します.そしてその数は,圏論の発展と共にますます増えています.その中でも,どんな圏論の教科書にも現れる特に重要なものは\demph{射,関手,自然変換}の三つでしょう.この記事では,射,関手,自然変換という\demph{「矢印の三重構造」}がいかにして数学の至る所に潜んでいるのかを,圏の定義を知ったばかりの読者に伝えることを目的としています.もう一歩踏み込んだ圏論の概念たち---例えば随伴,モナド,Kan拡張など---はこの三つを用いて定義されますから,この三つをマスターすれば圏論の世界に足を踏み入れたと言っていいでしょう.
\invmemo{文章全体の構成/方針提示}
この記事は,しっかりした教科書の前の読み物となることを想定しています.
形式的な定義をここで書いても仕方ないですから,この記事ではむしろ\demph{射の重要性のメタ適用}という観点で気持ちを説明して,{「矢印の三重構造」}に親しみを持ってもらうことを目指します\footnote{これは一個人が恣意的に一つの側面を切り取ったものですから,形式的で抽象的な圏論の良さ---多様な文脈の中で多様に解釈がなされるという良さ---に真っ向から反するスタイルであり,断腸の思いです.} また,「矢印の三重構造」が意外とすぐそばにあることを知ってほしいと思い,非常に素朴な自然変換の例\[1+x \leq e^x\]
% \[\lfloor x\rfloor \leq \lceil x\rceil\]
の話をしようと思います.
% この記事のメタメッセージは,順序集合
\section{射の重要性 }
\invmemo{射は重要である} あなたがすでに圏論を少し学んでいるのであれば,圏論で最初に強調されるスローガンが「\demph{射の重要性}」であることを既にご存知かもしれません.圏は対象と射のなすシステムとして定義されますが,「射は対象より重要である」という立場がより\dq{圏論的}で(あるとされていま)す.
このスローガンは,数学的対象を考える際にその間の射の概念を明確にせよという実務的主張を含意しています.例えば,位相空間を考えるときは連続写像を,群を考えるときは群準同型を,線型空間を考えるときは線型写像を考えよということです.主観的には,圏というのは同種の数学的対象が集まっている島のようなもの(\Cref{fig:Cat})で, その中で対象は他の対象たちと射によってネットワークをなしている,というイメージを(圏に抱く多くのイメージの一つとして)持っています.
\invmemo{射の重要性の理由: 関係性が明確になる.}
射を考えることで対象同士がどのように関わるのか(例えば,どの二つの対象をいつ同一視するのか,など)が明確になり,対象の持つどんな構造/性質に着目しているのかが明確になります.初等的な例だと,「三角形$ABC$と三角形$DEF$は同じだ」と主張されたときに「それは相似の意味ですか?合同の意味ですか?並行移動の意味ですか?」と聞き返すのと同じです.許される操作(≒射)を定めることで,三角形たちのどの部分に注目しているのか(≒どの圏の対象だと思っているのか)が明確になります.
% さらに,射を考えることで,他の数学的対象との関係性(=普遍性)を用いて対象を定義する,などといったことが可能になります.
\begin{figure}[ht]
\centering
\includegraphics[width=0.5\linewidth]{0827cat.jpeg}
\caption{圏}
\label{fig:Cat}
\end{figure}
\invmemo{射は圏の中の話である}
射は(普通)一つの圏の中で考えます.従って,射の話をするときには固定された圏の中で話をしていることになります.数学者同士の会話で,「それはどこの射ですか?」という質問がよく飛び出しますが,この質問での意図は「それ(=話題になっている射)がどの圏に属するのか(≒対象のどんな構造に着目しているのか)を教えてくれ」というものです.上の三角形の会話が典型例です.
\invmemo{順序集合による例}親しみやすい素朴な圏の例として,順序集合を挙げさせてください.例えば順序集合$\Z$は,それぞれの整数が対象で,大小関係$x\leq y$が$x$から$y$への射であるような圏だと思えます.圏$\Z$のなかで,整数たちが射$\leq$で関係づけられて一直線に並んでいる様子を思い浮かべてください.同様に実数$\R$も順序で圏だと思えます.
\section{関手= 圏の射}
\invmemo{関手=圏の射というスローガン}
「射の重要性」という観点に立つなら,射のなすシステムである圏は非常に便利な道具になります.一方で,射の言葉で数学をする利便性に染まると,新たな問いが生まれます.「圏という数学的対象の射は何なのか」という問いです.
圏それ自体も圏論的に扱えないのか?圏を対象に持つような\demph{圏の圏}の射は何なのか?
% 「圏の射」とは何なのか?
その答えこそが\demph{関手}です! 「射の重要性」を圏自体にメタに適用したわけです\footnote{これは,圏,関手,自然変換が生まれた歴史的経緯ではありません.}.
\begin{figure}[ht]
\centering
\includegraphics[width=1\linewidth]{0828Functor.jpeg}
\caption{関手}
\label{fig:functor}
\end{figure}
\invmemo{関手の実体}では,関手(=圏の射)は数学的にどのように定式化されて,なぜ有用なのでしょうか.詳しいことは教科書に譲りますが,大まかに言えば
「関手」はある圏から別の圏への変換を表しています。つまり,関手$F\colon \C \to \D$というのはある圏$\C$の対象と射を別の圏$\D$の対象と射にうつす変換(≒写像)であって,いくつかの条件---端的に言えば\dq{射の合成構造を保つ}という条件---を満たすもののことを言います (\Cref{fig:functor}).射が一つの圏の中のお話だったのに対して,関手は複数の圏の間の関係性を見る(それでいて,圏の圏という一つの圏の中の射でもある)わけです.
\invmemo{個人的イメージ: ワープゾーン}個人的なイメージを述べるなら,関手は一つの圏$\C$の中から飛び出して別の圏$\D$の中へ移る、ダイナミックな操作であり,それでいて対象同士の関係性を破壊しない繊細な操作でもあります.数学の世界地図を想像して,圏を島に例えるなら,関手$F$は島の間を移動する(一方通行)ワープゾーンのようなもので,島$\C$の対象$X$が入ると別の島$\D$の姿$FX$になってワープゾーンから出てきます.関係性は破壊しないので,$\C$の対象$X,Y$が手を繋いだ状態$f\colon X\to Y$でワープすれば,姿形は違えど手を繋いだ状態$Ff\colon FX\to FY$で出てきます.もちろんただの比喩ですが,全然違う分野(例えば幾何から代数)へワープするところを想像するとワクワクしませんか.私にとっての初めての\dq{遠距離ワープ}経験は定番の「基本群$\pi_1\colon \Top_{*}\to \Group$によるブラウアーの不動点定理の証明」でしたが,当時の素朴だが確かな興奮(冒険心?)を今もまだ覚えています.
% 現代数学では、空間の圏から代数の圏への関手など、文字通り分野の垣根を超えた関手が活躍しています。圏の境目を飛び越えて,ある分野での問題を別の分野の計算で解決する,と聞くと魅力的に聞こえるでしょうか.最も素朴な応用は,非同型性(二つの数学的対象$X,Y$が本質的に別物であること)の証明です.(非同型性の証明というものは,多くの場合同型性の証明よりも厄介なものです.同型性の証明であれば,同一視する方法を$1$つ持ってくればいいのに対し,非同型性の証明ではどのような方法でも同一視できないことを示さないといけない,つまり非存在の証明をしないといけないからです.) この困難は多くの場合(明示的にか暗示的にか)関手によって解決されます.圏$\C$の中にいる対象$X,Y$が同型だと仮定すると,関手$F\colon \C \to \D$を適用した$FX, FY$も圏$\D$の中で同型になることが証明できます.従って対偶を考えると,$FX, FY$が圏$\D$の中で同型にならないことを示せば,$X,Y$が同型でないことが証明できるのです!
% (現実には,上手い関手$F\colon \C \to \D$を作るところこそが難しいのですが.)
\invmemo{順序集合による例}この節も、順序集合による素朴な例で締めましょう.順序集合$\R$から順序集合$\Z$への関手は何でしょうか? 関手の定義を参照すれば、これは$\R$から$\Z$への順序を保つ写像に他ならないことをチェックできるでしょう。例えば、$f(x)=\lfloor x\rfloor, \lceil x\rceil$ などは非常に素朴ながら$\R$から$\Z$への関手の例です。
% これらの写像は実数を整数に変換していて,かつ順序は保っています.$x\leq y \implies \lfloor x\rfloor \leq \lfloor y\rfloor$
同様に,$f(x)=x,1+x,e^x$ など広義単調増加関数は$\R$から$\R$への関手だと思えます.$\sin x$は順序構造を破壊しているので(今の枠組みだと)関手ではないです.
\section{自然変換= 関手の射}
\invmemo{自然変換=関手の射}
関手が「圏の射は何なのか?」というメタ質問の答えだったのと同様に,自然変換は「関手の射は何なのか?」というメタ質問の答えです.詳細は教科書に委ねますが,圏$\C,\D$が与えられたときに,$\C$から$\D$への関手を対象に持つ\demph{関手圏}$\D^\C$が定義できて,自然変換はこの圏の射になります.つまり,自然変換というのは,並行な関手$F,G\colon \C \to \D$が与えられたときに,その関手の間にある高次の矢印$F\Rightarrow G$です(\Cref{fig:natra}).自然変換は慣習的に二重矢印$\Rightarrow$で表記されます.これで遂に3種類の矢印が全て現れました!
\invmemo{自然変換の気持ち: 関手を調べる道具として}
関手が圏から別の圏へのダイナミックな変換であったのに対し,自然変換はそのような二つの関手を比較するための道具だと言えます.例えば,(関手圏に限らず他の多くの圏でそうであるように)二つの関手をどんな時に「本質的に同じ」と思うのかは,自然変換の概念を用いて定義されます.
% 詳細は教科書に譲りますが,図示するとのようになります.自然変換は慣習的に二重矢印$\Rightarrow$で表記されます.
\begin{figure}[ht]
\centering
\includegraphics[width=0.75\linewidth]{0828Nattra.jpeg}
\caption{自然変換}
\label{fig:natra}
\end{figure}
\invmemo{順序集合での例}順序集合における自然変換の例も見ておきましょう.広義単調増加関数$f,g\colon \R\to \R$を$\R$から$\R$への関手と思うなら,その間の自然変換は(任意の実数$x$についての)不等式$f(x)\leq g(x)$のことです。例えば不等式$1+x\leq e^x$は関手$1+x\colon \R \to \R$から関手$e^x\colon \R \to \R$への自然変換だと思うことができます(\Cref{fig:realExample}).この場合,「矢印の三重構造」がどのように現れているか振り返ってみると,
\begin{itemize}
\item 射は個々の実数間の大小関係$-1<0<e<\pi$であって,
\item 関手は個々の広義単調増加関数$1+x, e^x\colon \R \to \R$であって,
\item 自然変換は関数間の大小関係$1+x\leq e^x$です.
\end{itemize}同様に,$\lfloor x\rfloor \leq \lceil x\rceil$は関手$\lfloor x\rfloor \colon \R\to \Z$から関手$\lceil x\rceil \colon \R\to \Z$への関手です.「射,関手,自然変換という矢印の三重構造」という現象自体は,(種々に縮退した形で)素朴なところにも潜んでいるのです.
\begin{figure}
\centering
\includegraphics[width=0.75\linewidth]{0828NattraReal.jpeg}
\caption{自然変換$1+x\leq e^x$}
\label{fig:realExample}
\end{figure}
\section{最後に}
自然変換$1+x\leq e^x$を通じて,自然変換が意外とすぐそばにあると感じてもらえたでしょうか.この記事の表テーマは「矢印の三重構造」ですが,裏テーマは「圏論の具体例は足元にもある」ということです.今後圏論を学んで\dq{普通の}(≒巨大な)例を教科書で見て怯んだときには,素朴な具体例がそばに落ちていないか確認することをお勧めします.
抽象的な圏論の魅力の一つは,その具体例の豊富さですから,遠くに見える巨大な対象と足元の素朴な対象の類似を楽しむことが圏論学習の醍醐味の一つだと思います.
最後に,$1+x\leq e^x$に似た自然変換の\dq{普通の}例の話をしましょう.実ベクトル空間と実線型写像の圏$\Vect_{\R}$を考えて、二つの自己関手$F,G\colon \Vect_{\R} \to \Vect_{\R}$を
\begin{itemize}
\item $F(V)= \R\oplus V$
\item $G(V)= (V\text{から自由生成される可換$\R$代数})$
\end{itemize}
と定めます.
後者は$\bigoplus_{n=0}^{\infty} V^{\otimes n}/{S_n} = \R\oplus V\oplus {V^{\otimes2}}/{S_2}\oplus\dots $ と\dq{テイラー展開}されるので、$F$から$G$へ標準的な自然変換があるのです. $1+x\leq e^x$と似ていますね!
\end{document}